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「東近江の水辺に原風景を探して」展示レポート 其の五

2015124 日更新

水辺で仕事をされている方にお会いしたくて、願いがかなったのが“葭留”の竹田勝博さんとの出会いです。
竹田さんは葭葺き屋根のお仕事をされいます。
葭の壁など新しい発想で、日本各地を忙しく回られている中、何度も仕事場にお邪魔してはお話をうかがい、丸立て(刈り取ったヨシを丸く立てて乾かす。西の湖畔などでよく見かける)の展示のご協力をいただきました。

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竹田勝博さんにお寄せいただいた文です。

ヨシは4月に芽を出し、5月には葉っぱが両手を上げたように背伸びをしているような、生き生きとした美しい深い緑の光景を見ることができます。8月のお盆を過ぎるころには黄色い穂を出して成長はほとんど止まりますが、9月頃葛色の穂に変わります。11月末ごろになると緑の葉も枯れてきて、樺色になります。12月の末には北風に吹かれて、葉を落としてヨシ刈りが始まります。3月にはヨシ刈りが終わり、末には新芽が出てきてヨシ地焼きをしますと、黒一色になり一雨ごとに新芽が芽吹き緑に変わっていきます。
西の湖は、琵琶湖の内湖として一番大きな内湖になりましたが、元は大中の湖、小中の湖・西の湖(五十町湖)などの湖があり、その中を島が連なって、内湖を形成していました。しかし太平洋戦争の食糧不足で「小中の湖」また「大中の湖」と二度にわたる干拓事業に、ヨシ地を提供してきました。この大中干拓築堤は、ヨシ地の中を通る予定でしたが、地主の祖父と数名の関係者などで話し合いをして、ヨシ地を減らさないように考え、ヨシ島の沖合50メートルの位置に築堤を作ることにし、その上で干拓事業に協力しました。
また大中の湖干拓工事の最中、大中の湖工事事務所より、続いて西の湖干陸計画を立てて、ヨシ地主皆に再度協力要請がありました。でも西の湖まで干陸されれば、最後の砦である「近江特産ヨシ」は壊滅的状態になるので、絶対反対をしてヨシ地を守ってきました。こうして西の湖のヨシ地は、私有物であったおかげで残ったのです。しかし昭和40年代、生活雑排水や農薬などが湖を汚して、ヨシが悪くなってくる中で、中国から安いヨシやスダレが輸入されて、刈り取っても売れなくなりました。滋賀県が琵琶湖の水辺の環境でヨシを取り上げて、「ヨシ群落保全条例」をつくってヨシ群落を増やし、冬に刈り取り・火入れ・清掃などの維持管理をするようになりました。
そこで平成4年から「ボランティアのヨシ刈り」を15年続けましたが、刈り取っても活用しなければ、刈り取った意味がないのです。それで平成19年から「西の湖ヨシ灯り展」を立ち上げました。今年で9回目になります。ヨシの利用・活用を目的に、ヨシを使うことでヨシの商品開発に繋げて、刈り取り、火入れ管理しヨシ地が保全できます。「西の湖ヨシ灯り展」はヨシの活用、光明を目的に、新しい使い方を提案・アイデアの活用をしていきたいと思っています。
ヨシは、水・土・空気を浄化しています。我々の生活している中で大切な環境3要素が、ヨシの活用で環境浄化に役立っているのです・
西の湖を琵琶湖のモデル湖として、美しい琵琶湖を取り戻すために、西の湖から進めていき、水もヨシも環境が良くなることで、琵琶湖が元の美しさを取り戻し、淀川水系の下流府県にきれいな水を提供できることを望みます。
時代とともに水辺の風景は、大きく変化してきました。しかしこれまで先人たちが残してくれた風景は、大きく変えることなく、ヨシが冬の北風に揺らされながらも、凛と立っているような、変わらない風景を残していきたいと思っています。

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「西の湖 八月下旬」

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